いくつかのブログが面白かったので、自分も書きたくなりました。本体が別にあるのですが、サボってるのを捕捉されたくないつっこんだ個人的な主張は分けてみよっかな~と、ブログを新設してみます。多分あまり更新しないです。
「表現の自由」を考える
表題。昨今さまざまな“炎上”案件で、さまざまな立場から意見が出ています。なかには苛烈な言葉も多く、「そんな侮辱までして主張すべきことなのか!?」と、疑問に思う方がそろそろ出てるのかなと、増田にそう思わせるエントリがあった気がします。
私はおもに、2010年の都条例改正、いわゆる“非実在青少年”問題のとき、「表現の自由」についてすこぶる考えました。イベントを傍聴してさまざまな話を聞きましたし、そうして得た自分の考えを議員さんにメールもしました。
表現問題に関心があって当時のことを知らない方は、下記の書籍など是非ご一読ください…といっても、私も下手にリアルタイムだったため、正直今読んでいるのですが(´・_・`)
私にとっては、表現にまつわる議論はここで出尽くしてます。「フェミが」「オタクが」、当時の議論ってこんなんじゃなかったですよ。過去にはフェミニストが規制反対の中心になったこともあったようです。
反対派からの視点といえ、当時、規制派と呼ばれる向きがいかに姑息に物事を進めようとしていたか。この頃から黒塗り、流行ってたんですね。
青少年条例においては、目隠しもある程度は必要かと思いますが、それ以前に教育ですし、また、考えに迷ったときや、世界に恐れをなしたときのサポートではないかと思います。
国民会議というところの報告書にあったらしい、以下の文が好きです。
大人が健全な環境を子供のために準備してやることも重要であるが、同時に不健全な環境下であっても、健全な判断ができ、健全な行動をとることができる青少年を、いかにして育成していくかということにあるといえるのではないであろうか
長岡 義幸. マンガはなぜ規制されるのか (平凡社新書556) (Kindle の位置No.2880-2881). 株式会社 平凡社. Kindle 版.
青少年健全育成条例は1950~1980年代にかけて各都道府県で制定されたそうですが、ネットの暴れん坊達を見ていると、“健全育成”は失敗してるんじゃないか? くらいの皮肉は言いたくなりますね。
また、下記なども好きです。松文館事件の第一審で弁護側の意見証人として出廷した憲法研究者、東京大学名誉教授・奥平康弘さんの言葉。
「表現の自由というのは、少数者の利益を確保するかということなのであって、多数者の利益を確保するためには表現の自由なんて要らんのですよ。表現の自由というのは、人々から悪評判であったり、人々が、ああ、そんなら規律していいんじゃないのというところにいて、いや、これは規律することは間違ってるんだという少数者の側の利益を保護する、それを最大限の道が何かということを保障するのが憲法なんだと」
長岡 義幸. マンガはなぜ規制されるのか (平凡社新書556) (Kindle の位置No.671-674). 株式会社 平凡社. Kindle 版.
とにかく、読まれたことない方はおすすめします。
たわわ広告のこと
新聞・出版という業界は、本来、安易な答えは出さないと思ってるんですよね。言論や表現こそが彼らの商売であり、企業価値です。
2010年は「青少年条例」にまつわる出来事でしたが、今回変わったのは、「成人社会への影響」を言う人が多かったかな? というところです。…まあ健全育成に失敗してる社会だからしょうがないよな~(煽り)。
たわわ広告については、日経任せ派です。広告されている内容まで厳密に審査するのは無理という前提で、あの一枚についてのみの話。日経紙面という時点でやんわりレーティングされてると思いますし、また、逆に日経読者なら知性と良識をもって判断するだろうと信じてるほうですね。
これで「もう日経読んでられんわ!」となるなら、それも致し方なしというところ。
個人的には、どちらかというと、エロより「病み」を感じてですね、正面を向かない身体、なのにこちらを向いている視線、不敵な笑み、そして何か持っている…試し行為ですよ。「すわ、こんな試し行為をする者は病んでいるにちがいない」と決めつけました。
病みってなんか、文学的によくある気がするんで、本編そういうヴァイブスなのかなと。
まあちょっと一区切りついた件なので、置いておきます。
性被害とかはどんどん言え
下記のやりとりが意外な結末と思いました。
長々と書いたが、大事なことは一つで、「女性がどんな被害に遭っているか」を、多くの男性は知らないし知ろうともしないという非対称性が、ネットのオタクの世界でもあることを、改めて思い知った感じだ。
たわわ対話の件。お礼と感想(sametashark氏より最終返信あり・追記6) - はてブの出来事 (hatenablog.com)
そうか、性被害ってまだそんなに知られてないんだ、と。私も(ちなみに女性ですが)継続的なものをまとめても10本の指には収まらないですし、一番キツいのは10年人に言えませんでしたね。なんなら、ついこないだも覗きって話あったくらいです。
報道されるのなんて本当に氷山の一角ですし、警察まで行かないものも膨大にあります。
もちろん男性の被害もあります。男性はより一層言えないという。
男性の性被害 292人実態調査アンケート結果【vol.131】 - NHK みんなでプラス
で、これがオタクが悪いのかというと。どちらかというと、いちいち言う機会ないんですよね。言わんでしょ、いきなりランチで過去の性被害とか。
関係機関はこういうのの周知に力入れるべきですよ、日経もたとえば、国連ウーマンと組んでそういう記事特集増やすとかね。
周知すべきことを周知し、社会が性被害の話題を封じることがないように、そのほうが、「我々は見ているぞ」という加害抑止にもなる気がする。
「信じられないこと」ではなく、誰もが第一声ピンと来るように、適切なケアが増え、つながるように。人を信じられなくなるのが一番つらいと思う。
いじめなども同じと思います。そういう暗数がその人のなかだけに重なって重なって、社会への不信感になる。その不信感を抱えたままでは、「少数派利益を守るべきだ」などという言葉も、耳を塞ぎたくようなものにしか聞こえないかもしれません。
おまけ:批判のマナー?
先の著者の長岡さんを検索していたところ、ツイフィールにまた興味深い一文がありました。
ネット上の交流においては、トラブルに発展させない、巻き込まれないための種々の心得、そしてトラブルを収拾させるための様々な経験則があります。私の場合は、ネットを利用しはじめたころにその存在を知った「ネチケットガイドライン」が非常にためになりました。(略)
たとえば、相手の属性から心の内を勝手に忖度したり、妄想したり、あるいは書かれていないことまで想像力をたくましくして相手を不快にさせたり、そんな姿勢でやりとりするのではなく、あくまでも書かれた内容に集中して言葉を交わすというのが、(とりわけリアルのつきあいがない者同士の場合)実りある議論や交流の基礎となるという経験則があるようです。
ネチケット…!! 私も読んでみようと思います。
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長くなった。今日はここまで。