ガバガバ秘密基地

秘密などない

エンタメ表現と✕✕✕

韓国のこれが気になっている。

automaton-media.com

手で「ちょこっと」を意味するようなハンドサイン🤏が男性嫌悪の象徴として認識されており、それをコンテンツに入れ込んだとして抗議が殺到しているという。

togetter.com

当初、こちらのまとめを見た印象はほとんど言いがかりに思えたのだが、先のAutomatonに貼られたGIFでは気になるといえば気になる。ただ元動画でどのくらいの長さなのか、検証しなければ気づかれないレベルで仕込んで意味があるのか、“そっち系”の人がなぜ“それ系”のクリエイティブに関わっているのかなど、謎が多い。

ともかく、これ以上、過熱や飛び火しないでほしくはある。本邦国内クリエイターもなかなか他人事ではない。やはりアジアはpixivでも相性が良いように思う。よくあるハンドポーズだし、たとえ正当な文脈でそれを描いたとしても、誰かが侮辱されたと感じるのは心が痛むというものである。

男性器のサイズを揶揄したハンドサインらしいのだが、正直、日本海跨いだくらいで大きく変わるとも思えず、本邦男性にとっても余計な意味付けをしてくれたものだと思う。一刻も早く廃れてほしい。

同様のハンドサインで炎上したというコンビニポスターを見た。

s.japanese.joins.com

こちらは、他国のデザイナーさんに対して申し訳ないが、私はいやな気持ちになった。

ケチャップの描写からしてフランクフルトくらいの大きさはあると思うのだが、だとすると手との比率がおかしい。ソーセージでこんなふうにケチャップがかけられるものだろうか。明日ガストでやってみようか。ソーセージでこんな凝ったかけ方をする理由は。ソーセージだとしても小さいのではないか。

また、キャンプに関するポスターのようだが、何というか、焼き立てのそれを素手で掴むのかという疑問もある。

このように、炎上する描写は大抵「不手際」とか、「合理性が感じられない」といった要素があることが多い。個人で楽しむ作品内ならともかく、広告のような場は一般的に求められるハードルが高い。韓国現地でこれは整合性のある描写なのか知りたいところだ。

---

韓国フェミニズムと反フェミニズムの摩擦が加熱する様子は、このへんをさっき読んだ。結構たっぷりした特集である。

toyokeizai.net

まだ全部読みきれてないのだが、女性に関する韓国エンタメの紹介で『猟奇的な彼女』が出てこないのが意外であった。もはや暴力的な女性主人公なのだけれど、日本でもヒットしたはずである。

また、『来いよ、おばけ』という、ものすごく雑な邦題をつけられた今で言うウェブトゥーンが過去に邦訳公開されていて、00年代だったと思う。当時は韓国漫画をマンファと言っていた記憶がある。本当傑作で一気に読んだのだが、こちらの女性主人公もかなり強いのである。

なので、韓国女性はもともと強いイメージがあったのだけれど、単なるエンタメ上の理想像だったのだろうか。

東洋経済の記事によれば、女性アスリートがショートカットにしただけでフェミニズムに傾倒しているとぶっ叩かれたらしい。それはもう行き過ぎだと思うのだが、フェミニズム側でも先述の通り行き過ぎなのだと思う。

---

いまや韓国文化に親しみのある人は大勢いて、私もちょろっとその一人ではあるのだが、こんな過熱まで持ち込まれてはたまらない。

先日、書店で『僕の狂ったフェミ彼女』という韓国小説をみかけた。フェミニズム小説は『82年生まれ、キム・ジヨン』というのがヒットしたばかりだと思う。現地での対立ぶりはちょこちょこ読むし、またそれ系か…と思ってしまった。

パラパラとめくったかぎりでは、男性目線から見たフェミニストを書いた女性作家の小説のようで、主人公はどうやら否定的である。おそらくは両論併記で現地での女性の苦難も描かれ、主人公はラストに向けてどうなるのか、まさか和解などしないと思う。私ならそうはしない。建付けはおもしろいので読んでみたくはある。

---

もうフェミニズムとかなんとか、ブログタイトルにも入れたくないのである。カッカした奴が寄ってくるから。女性問題がまったく無いとも思わないが、私は社会で性別由来の差別的な体験をした記憶がない。

職業柄、ペンを持ったら(同業の先輩方以外は)怖いものなしである。そのくらいの修練はしてきた。子供の頃に触られるレベルの性被害には遭っているが、男性も被害に遭うことはジャニーズ事務所で周知されたろう。意外とある。性別でなく撲滅すべきものだ。

---

春画ドキュメンタリー映画が公開されたという。

www.culture-pub.jp

監督からプロデューサーに至るまで、女性の手によるものだそうだ。

リンクされている対談のなかで、興味深い一文があった。

ちなみに、幕末に日本にやってきた西洋人にとっては、日本の春画文化は不思議に見えたようで、たとえば考古学者のハインリヒ・シュリーマンは「日本人は礼儀正しいし潔癖なのに、なぜ混浴したり、女性たちが淫らな絵を見てみんなで笑っているのか」と、日記に残しているという。

春画を見て笑っていた」のがどういう人たちなのかわからないが、アダルト作品で笑顔になれる世界はいい世界だと思う。もちろん表現者側の姿勢や、笑顔の下地となる社会環境も欠かすことはできないが。

ハンドサイン一つでいがみあうより、そっちの方が理想なんだよな、などと考えた。混浴はいまや無理だろうけど。